2006年05月14日

Yes 音楽性と活動の変遷 【解散】/イエス

ツアー終了後にパリで始めた新作のリハーサルが結果を残せぬまま頓挫してしまい、バンドの結束はかつてないほど弱まってしまった。結果として中心人物のアンダーソンとウェイクマンが脱退し、同じマネージメントに所属し、デビュー作「ラジオ・スターの悲劇 - The Age of Plastic(1979年)」を大ヒットさせていたエレクトロ・ポップ・デュオ、バグルスをまるごと吸収する事でイエスは蘇生したかに見えた。

新たな時代を生き抜くために、ニュー・ウェイヴそのものを呑み込んで完成させたアルバム「ドラマ - Drama(1980年)」は、ハウ、スクワイア、ホワイトのプレイも久しぶりにパワフルで、バグルズのトレヴァー・ホーン、ジェフ・ダウンズの才能も存分に発揮された作品である。発表当時から長年の間、イエスの象徴と言えるアンダーソンの不在が大きなダメージとなって不遇な扱いを受けていたが、現在はまずまずの評価を得ている。

アメリカでは好評を博した新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると惨憺たるものとなってしまい(というのは演奏の質ではなく、コアなオーディエンスの、バグルズへの拒否反応が酷かったようだ)、ツアーを終えると遂にイエスは解散してしまう。

解散への経緯は諸説ある。ハウによると、スクワイアとホワイトはジミー・ペイジとセッションを始め(XYZ = ex Yes Zeppelin:元イエスと元レッド・ツェッペリンの意)、ホーンはバグルズの新作とプロデュース業に戻り、最後に残ったのは彼とダウンズだけだった。ハウはイエスの再編も考えたが当時のマネージャー、ブライアン・レーンの助言もあってイエスを諦め、新バンド、エイジア結成へシフトした、という事だ。一方でスクワイア、ホワイトは全く逆で、エイジアに行ってしまった、という意味あいの発言をし、ホワイトに至ってはイエスは解散していない、とまで言っている。

いずれにしてもバンドが分裂した時にバグルズを吸収させたのも、エイジアを画策したのも、'70年代末すでにトレヴァー・ラビンというギタリストをスクワイア達に薦め、新生イエスの母体となるシネマ結成のきっかけをお膳立てしたのもブライアン・レーンの手腕によるところが大きく、彼はイエスの面々にとっては混乱の種のようでいて、しかし結果的には更なる成功へと導いた立役者、と言えるかもしれない。

【PR】
ニッセンオリジナルブランドデニム

にほんブログ村 音楽ブログへ

progressive_rock at 00:30コメント(0)トラックバック(0)Yes  この記事をクリップ!

トラックバックURL

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
INDEX
[PR]



シマンテックストア

にほんブログ村 音楽ブログへ

にほんブログ村 音楽ブログ PV・CDレビューへ

Thanks! Comments
Profile

ukiki

訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Archives
QRコード
QRコード
TagCloud
  • ライブドアブログ