北京オリンピック

2008年08月09日

中国とロック  北京オリンピックにちなみ・・・ 4

中国のロックは上海から

中国はその歴史の始まりから多くの国と交流し文化を吸収し独自の音楽を生み出してきたが、今に通じるポップスの始まりは、ということになると1920〜30年代の上海というのが定説だ。
当時の上海は国際都市、海外からの情報もいち早く入り、多くの映画が撮影され、周璇(シュウセン)、李香蘭(リコウラン)といったスターたちが映画主題歌もうたいヒット曲を生み出した。

1949年中華人民共和国が建国されると、多くの制作者・歌手が香港に移住。一方、中国大陸の音楽産業は首都北京に移り、政治色の強い革命歌や民歌が作られ、文化大革命時になると音楽はより厳しく制限されてしまう。が、76年文革が終わるとポップ・シンガーが現れ、人々が好む曲が作られ歌われ、ポップスは大きく発展する。
台湾や香港からの影響も大きかった。特に人気だったのはテレサ・テン(麗君)。
カバー・ベスト・コレクション

テレサのナチュラルなヴォーカルは当時の中国人にとって全く新しいものだった。この時期中国では歌手が続々とデビューし、80年代後半に大きく花開く。

また80年頃にはロックが生まれた。カリスマのツイ・ジェン(崔健)は今も健在。
俺には何もない(一無所有)

その後多くのロック・ミュージシャンがデビューした。
“不倒翁(おきあがりこぼしの意)楽隊(中国語ではバンドのことを楽隊という)”、“白天使楽隊”など、彼らが後に中国ロックを引っ張っていく中核のメンバーとなっていく。

86年5月、国連世界平和紀念百名歌星というコンサートで崔健が当時の中国人の若者の思想を表した「一無所有(イーウースオヨウ、一文無しの意味)」というオリジナルの歌を歌い、衝撃を与える。それ以後彼は中国を代表するロックスターとなった。

崔健によって多くの若者が刺激を受け、86年には“黒豹(ヘイ・バオ)”、87年には“唐朝(タン・ダイナスティ)”がデビュー。後に彼らは崔健と共に中国ロックの代表されるグループとなる。
89年には崔健がファーストアルバム「新長征路上的揺滾(新長征ロック、海外版は一無所有)」をリリースし、史上空前の大ヒットとなった。このアルバムは海賊盤を含め1億枚は売れたとされる。その空前絶後の記録を人々は称え、彼を中国ロックの父と呼ぶ。現在もその位置は不動だ。

しかし、その後、政府から弾圧を受けてしまうことになる。

またポップ・シンガーも、中国ではルックスがよくても歌が下手だと絶対に売れないと永らく言われてきたが、今やそう言えないほど、都市部向けから農村部向け、アイドルから大歌手までポップ・シーンは多彩な様相を呈している。

さて、ここ数年で中国では北京を中心としてロックが盛んになってきている。
プログレの観点からすると、上記の「黒豹」などが近い。

ぜひ、北京オリンピック後にでも現地に行きたいものだ。

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